2020.06.22

『五右衛門vs轟天』 二大ヒーロー夢の対決、そして大混戦のオールスター戦

 悪の組織ブラックゴーモン壊滅のため、彼らの先祖である五右衛門を倒さんとするインターポールによって400年前に送り込まれた剣轟天。その頃、五右衛門は絵図に示された風魔忍軍の秘術を探し出そうとしていた。五右衛門と轟天、二人の対決は秘術の力によって思わぬ展開を見せることに……

 『偽義経冥界歌』が東京公演途中で中止、40周年記念の『神州無頼街』も中止と、劇団☆新感線ファンにとっては、辛いことが続く昨今。そんな中、ニコニコ動画で「SSP動画祭り」と銘打って、未ソフト化の公演が動画配信されることとなりました。
 その第4弾が、劇団☆新感線35周年オールスターチャンピオン祭りと題して五年前に公開された『五右衛門vs轟天』であります。

 五右衛門とは言うまでもなくあの石川五右衛門――『五右衛門ロック』シリーズで大活躍する、近年の古田新太の当たり役。釜茹でにされたはずの彼が海の向こうに脱出、世界を股にかけて大暴れ――という大活劇シリーズの主役を務める好漢であります。
 一方の轟天は、新感線の一方の柱であるネタものの雄『直撃! ドラゴンロック』の主人公である、異常にワイルドな風貌の武術達人にして、異常なまでの女性(の下着)好きという変態。橋本じゅんといえばこれ、と言うべきあまりにも濃すぎるキャラクターです。

 奇しくもこれまでに新感線での主役作品が三本ずつのこの両雄が、ダイナミックな感じでvsする本作、何故か(?)ソフト化もされていなかったのですが、今回このような形で配信されたのは望外の喜びです。


 さて本作は、悪の組織の手に落ちかかっている現在を救うため、五右衛門の○○を叩き潰す指名を帯びた轟天がタイムスリップ、五右衛門と対決するのが縦糸。そして五右衛門と女盗賊・真砂のお竜、からくり戯衛門(その実は……)と、風魔忍群、五右衛門の宿敵・マローネ侯爵夫人一味が繰り広げる三つ巴の争いが横糸の物語であります。
 設定的には、『五右衛門ロック』シリーズ三部作の後の時系列に轟天が乱入した形になるのですが――さらにそこにその他の新感線作品のキャラクターたちがスターシステムで次々と顔を出すという、実に豪華かつ混沌とした内容の作品です。

 そんな俺が俺がの状態の本作で、主役二人以外に強烈な印象を残すのは、何といってもある意味この混戦の元凶である、謎のビジュアル系忍者・ばってん不知火。
 『レッツゴー! 忍法帖』で池田成志が演じて大暴れした怪キャラクターですが、本作でも自分自身で何をやっているのかわからない、というノリで場を引っかき回し、こちらを大いに抱腹絶倒させてくれました。

 また同じ『レッツゴー! 忍法帖』からは、中谷さとみ演じる風谷のウマシカが登場。マローネに支配されたぬらくら森に住む青き衣をまといし少女で、実は本作のヒロイン枠の一人なのですが――名前からわかる通り、実にマズいキャラ。
 初登場作品の頃からマズかったのですが、今回はそれにさらに拍車がかかり、ラストバトルに森の仲間たちと参戦した時の姿は完全にアウト。本作がソフト化されないのはもしかして――という疑惑も浮かびます。


 その他、陰険メガネと長髪美形と一粒で二度美味しい粟根まことの熱演や「ふんどしと呼ばれる男」の客演など、実に賑やかな本作なのですが、しかし一番感心させられたのは、マローネ役の高田聖子でした。

 マローネ自身は、これまでシリーズ二作品に登場したお馴染みのキャラクターなのですが、本作では中盤にとんでもない大異変が起こり、大きくその立ち位置が変わることに。
 そしてそこからの展開はほとんど古田新太との演技合戦――長年新感線を引っ張ってきた二人ならではの応酬には、ただ感心させられるばかりであります(この辺り、この展開を用意した脚本も流石です)。

 もっとも、そのおかげでというべきか、中盤は轟天の影がちょっと薄い印象もあるのですが――まあ存在しているだけで濃いの轟天というキャラで、もちろんクライマックスではお馴染みの(?)最低過ぎる格好で大暴れ。
 これまでのシリーズであれば五右衛門が務めていた役割を見事果たして、両雄の大暴れに繋がっていく展開には、ただ笑顔で拍手するしかありません(しかしこうして見ると、五右衛門は新感線作品の主人公の中ではかなり常識人だったのだな――と再確認)。


 そしてラストには、五右衛門といえばこれ! という展開からの最高の見得切りで幕――と、大満足の本作。五右衛門シリーズとしてもきちんと(?)成立しているだけに、やはりソフト化されていないのは残念ですが、ここしばらくの鬱憤を吹き飛ばすことが出来た快作であることは間違いありません。


関連サイト
 新感線・シンパシー・プロジェクト

関連記事
 「五右衛門ロック」 豪快で大バカで痛快で
 「薔薇とサムライ GoemonRock OverDrive」(その一) 痛快無比、古田五右衛門再登場!
 「薔薇とサムライ GoemonRock OverDrive」(その二) 新たなる五右衛門物の誕生
 「ZIPANG PUNK 五右衛門ロックⅢ」(その一) 三度登場、古田五右衛門の安定感
 「ZIPANG PUNK 五右衛門ロックⅢ」(その二) 悩める名探偵の行方は

|

2019.10.06

劇団ヘロヘロQカムパニー『冒険秘録 菊花大作戦』 驚きの原作再現率の大活劇

 というわけで、昨日ご紹介した『冒険秘録 菊花大作戦』の、劇団ヘロヘロQカムパニー(以下「ヘロQ」)による舞台版であります。何者かによって明治天皇が誘拐されるという大事件に押川春浪と天狗倶楽部が挑む物語を、ほぼ原作そのままに舞台で再現してみせた快作であります。

 明治45年、赤坂の料亭から何者かによって連れ去られた明治天皇。7日後に日本とロシアとの秘密条約調印を控えた中、事が公になれば、いまだに不安定なロシアとの関係がさらに悪化しかねない――いやそもそも、一国の元首が誘拐されるとは、国家の恥以外のなにものでもありません。
 軍も警察も表だって動かす事ができない中、東京市長・尾崎行雄は、最後の希望を押川春浪と天狗倶楽部に託すのでした。

 かくてこの密命を受けた春浪は、天狗倶楽部の精鋭7名を選出、そこに旧知の警視庁の黒岩刑事と妹の時子嬢、憲兵隊の織田少尉を加えた面々で、日本の命運を賭けた任務に挑むことになります。
 しかし犯人からの要求もない中、事態は五里霧中の状況。果たして犯人は何者なのか、そしてその狙いは何なのか。そして何よりも天皇陛下はどこにおわすのか――刻一刻迫るタイムリミットが迫る中、春浪と天狗倶楽部の活躍や如何に!? 


 と、昨日書いたのと同じあらすじ紹介で恐縮ですが、驚くほどの原作再現率であったこの舞台。
 二段組み300ページの単行本を2時間半程度で舞台化しているため、もちろん物語のディテールやチョイ役など、省略している部分は多々あるものの、それでもメインどころだけで20名近いキャラクターと、舞台となる7日間の出来事をほとんど全て拾い上げているのには、感心するほかありません。

 原作との大きな相違点も、『いだてん』効果か三島彌彦の出番が大きく増えていたこと(短距離選手にあまり長距離奔らせては――という気もしますが)、キャラクターの一人の性別が変わっていること、原作のエピローグの後にもう1シーン加わっていることくらい。
 逆にこれは再現が難しいのではないかな、と思った終盤のアクションシーンの数々は、冷静に考えるとギャグになりかねないような形でありつつも、出演者の熱演でカバー。さらにラストで重要な役割を果たすあるキャラクターもきっちり再現しているのには驚きました。(舞台挨拶の最後の最後、このキャラクターが一気に持っていくので、DVD化の暁にはぜひご覧を)


 私はヘロQの舞台はこれまで『魔界転生』と『犬神家の一族』しか観ていないのですが、どちらも映画など他のバージョンの要素も取り入れつつ、原作をきっちりと踏まえた舞台であったという印象があります。
 今回は他のバージョンというものがないわけで、それはそれで非常に難しかったのではないかと思うのですが――しかしそれでも今回も、ヘロQはしっかりとやり遂げてみせた、と感じます。

 何よりも本作は原作もさることながら(というのは非常に申し訳ないのですが)、登場人物の大半は実在ながらほとんどの観客にとっては馴染みの薄い人物。それだけに難しい部分は多々あったのではないかと思いますが――しかしその部分を自由に膨らませていたのも楽しめました。
 正直なところ、原作は登場人物のキャラクター描写の掘り下げをあまり行わない作風なのですが、役者が目の前で演じる舞台という形式は、その点はむしろキャラクターを血の通ったものにするという点で良かったのかもしれません。

 ちなみに押川春浪役は当然(?)座長の関智一が演じていましたが、今の目から見ると微妙に難しい部分もあるこの人物を、明るいバージョンの関智一として気持ち良く演じていたのは流石でした。

 しかしこの舞台のMVPは、開演前の前説から幕が下りた後までほとんど出ずっぱりで、小説でいえば地の文、映像作品でいえばナレーションにあたる役割を果たしていた講談師役の長沢美樹ではないでしょうか。
 もちろんオリジナルキャラクターですが、冷静に考えると異常にシーン数(場面転換)の多いこの舞台を一本のものとしてまとめたのは、この方の語りあってのことと、心から思います。


 というわけで今回も大変楽しませていただいたヘロQの舞台。これだけ楽しいのだから、ぜひ他の天狗倶楽部ものも――というのはもちろんファンの無茶ぶりではありますが、そう思いたくなるほどの舞台でありました。


関連サイト
 公式ブログ

関連記事
 舞台「魔界転生」 おいしいとこ取りの魔界転生
 劇団ヘロヘロQカムパニー『犬神家の一族』 関智一の金田一だからこそできたもの

|

2018.06.24

ことだま屋本舗EXステージ『戦国新撰組 結』 新たな魂を吹き込まれた物語

 舞台上で声優が舞台上に映し出される漫画の台詞をアフレコするという、LIVEリーディングイベントを観劇(聴劇?)して参りました。ほぼ一年前に上演されたことだま屋本舗EXステージ『戦国新撰組』の続編・完結編であります。

 朝日曼耀 作画、富沢義彦 原作の原作漫画についてはこれまでこのブログでも紹介して参りましたが、タイトルのとおりと言うべきか、戦国時代にタイムスリップしてしまった新撰組の活躍を描く物語であります。
 突然桶狭間の戦直前の時代に放り出され、全く勝手の異なる戦いの中で幾多の犠牲を出しつつも、徐々に頭角を現していく土方らの姿を、佐久間象山の息子・三浦啓之助の目を通じて描く作品です。

 乱戦のどさくさに紛れて啓之助に信長が射殺され(!)、その後釜に濃姫が座るという場面まで――全3巻の原作のうち、第2巻の中盤までが上演された前回。
 今回はこれを受けて残る後半部分――清洲城に来襲した今川義元との決戦、さらに竹中半兵衛が守る斎藤家との死闘が、敵味方同士に分かれた新撰組隊士たち同士の戦いを交えて描かれることになります。

 LIVEリーディングというイベントは、冒頭に述べたとおり漫画の画を(吹き出しは消して)そのままスクリーンに映し出し、それに声を当てていくというものだけに、内容は必然的に原作に忠実にならざるを得ません。
 それだけに内容的には原作既読者には(当たり前ですが)目新しさはない――はずなのですが、しかし声優の声が付いてみると、物語がまた全く異なったものとなって見えてくるのが面白いところであります。

 漫画を読んでいる時に何となく脳内で再生しているのとは異なり、生きている人間一人一人がそれぞれのキャラクターとして喋る――本作のようなキャラクター数がかなり多い作品では、それがある意味物語の輪郭を明確にしていくものだと、再確認させられました。
 実は原作の方は、正直に申し上げて後半はかなり駆け足になった印象があるのですが、それがこのLIVEリーディングでは、違和感や不足感を感じさせず、むしろ状況が刻一刻と変わっていく緊迫感を醸し出していたのも、この声の力に依るところが大きいのでしょう。

 ちなみに主人公の三浦啓之助役は、前回と異なり酒井広大が演じていたのですが、前回にも勝るとも劣らぬ啓之助っぷり――特にラストにこれまでの自分を捨て、新たな道を撰ぼうと踏み出す場面はなかなかに良かったと思います。

(しかし前回もそうだったと思いますが、RDJをモデルにした今川義元の声を、「あの声優」チックに演じるのはズルくも楽しかったです)


 なお、今回は本編の前に同じ原作者の作品(作画 たみ)『さんばか』を同形式で上演。こちらは寛政年間の江戸を舞台に、戯作者を夢見る少年・菊池久徳と、戯作ファンの三人娘が風呂屋を(主な)舞台に繰り広げるお色気多めの時代コメディであります。

 原作漫画を読んだのはかなり前でしたが、男臭い『戦国新撰組』に比べると、グッと華やかな内容で、女の子たちがわちゃわちゃと騒がしい展開は、これはこれでこの媒体にかなり似合う――という印象。
 映画で言えば本編前の併映の短編といった趣きですが、ちょうど良い塩梅の作品であったと思います。


 何はともあれ、『戦国新撰組』と『さんばか』――漫画で楽しんだ物語をこうして新たな魂を吹き込んだ形で追体験するというのは、なかなか楽しい経験でありました。機会があれば、またぜひ。



関連記事
 ことだま屋本舗EXステージ『戦国新撰組』

 朝日曼耀『戦国新撰組』第1巻 歴史は奴らになにをさせようとしているのか
 朝日曼耀『戦国新撰組』第2巻 新撰組、いよいよ本領発揮!?
 朝日曼耀『戦国新撰組』第3巻 彼らが選び、撰んだ道の先に

 「さんばか」1 江戸の風呂屋に自由と交流の世界を見る

| | トラックバック (0)

2018.05.16

『修羅天魔 髑髏城の七人 Season極』 新たなる髑髏城――これぞ極みの髑髏城!?

 天魔王率いる関東髑髏党が覇を唱える関東に現れた渡り遊女・極楽太夫。色里・無界の里に腰を落ち着けた彼女には、凄腕の狙撃手というもう一つの顔があった。無界で徳川家康に天魔王暗殺を依頼された極楽。しかしその前に現れた天魔王の素顔は、かつて深い絆で結ばれた信長と瓜二つだった……

 実に1年3ヶ月にわたり、5つのバージョンで公演された劇団☆新感線の『髑髏城の七人』、その最後を飾るSeason極『修羅天魔』を観劇して参りました。
 それまでにも5回上演され、その度に様々な変更が加えられてきた『髑髏城』ですが、しかし今回の『修羅天魔』はその中でも最も大きく変わった――ほとんど新作とも言うべき物語。何しろ、これまで一環して主人公であった捨之介が登場しないのですから!

 上のあらすじにあるように、本作の主人公は、渡り遊女にして凄腕の狙撃手である極楽太夫こと雑賀のお蘭――かつては信長に協力し、その天下獲りを支えてきた人物です。
 これまでの髑髏城において登場してきた極楽太夫は、雑賀出身の銃の達人という裏の顔は同じながら、初めから無界の里の太夫という設定。そしてお蘭の名を持ち、信長と縁を持つ登場人物としては、その無界の里の主・蘭兵衛が別に存在していました。

 そう、本作の極楽太夫(お蘭)は、これまでの捨之介と極楽太夫と蘭兵衛、三人の要素を備え、それを再整理したかのようなキャラクターなのであります。

 それを踏まえて、彼女を取り巻く登場人物たちの人物関係も、これまでとはまた変わった形となります。
 もう一人のヒロインである沙霧や、豪快な傾き者・兵庫といった面々は変わらないものの、蘭兵衛に代わる無界の里の主として若衆太夫の夢三郎が登場。狸穴次郎右衛門こと徳川家康の存在もこれまで以上に大きくなりますし、何よりも新たな七人目が……

 この変更が何をもたらしたか? その最たるものは、本作における重要な背景である織田信長の存在――信長とメインキャラたちの関係性の変化があるでしょう。
 これまで信長を中心に、捨之介・天魔王・蘭兵衛が複雑な関係性を示していた『髑髏城』。それが本作では極楽太夫・天魔王の関係性に絞られることにより、ドラマの軸がより明確になった――そんな印象があります。

 これは個人的な印象ですが、これまでの『髑髏城』では蘭兵衛の存在――というか第二幕での蘭兵衛の変貌が今一つ腑に落ちないところがありました(色々と理由はあったとはいえ、あそこまでやるかなあ、と)。
 今回、その辺りがバッサリとクリアされた――正確には異なるのですがその変更も含めて――のは、大いに好印象であります。

 閑話休題、その信長を頂点とした「三角関係」の明確化は、これまで(私が見たバージョンでは)背景に留まっていた信長の存在が、回想の形とはいえはっきりと前面に登場したことと無関係ではないでしょう。
 かつては雑賀の狙撃手として信長を狙ったお蘭が、信長の「同志」にして最も愛すべき者となったか――それを描く物語は、古田新太の好演もあって素晴らしい説得力であり、そしてそれだけに登場人物たちの因縁の根深さを感じさせてくれるのには感嘆するほかありません。

 さらにこの過去の物語が、第二幕早々で炸裂する意外な「真実」――これまでの物語を根底から覆すようなどんでん返しに繋がっていくのが、またたまらない。
 実はここまで、如何にこれまでの『髑髏城』と異なるかを述べるのに費やしてきましたが、同時に意外なほどに変わらない部分も多い本作。特に物語展開自体はこれまでとほぼ同じなのですが――だからこそ、この展開には、とてつもない衝撃を受けました。

 そしてその「真実」を踏まえて、極楽太夫が如何に行動するのか、どちら側の道を歩むのかという展開も、本作の人物配置――端的に言ってしまえば男と女――だからこそより重く、そして説得力を持って感じられるのであります。
 ……そしてそれがもう一回クルリと裏返るクライマックスの見事さときたら!。


 もちろん本作の魅力はこれだけではありません。また、生歌が存外に少なかったことや、過剰にエキセントリックな演技(それも演出のうちではありますが)で興ざめのキャラがいたことなど、不満点もあります。
 しかしそれでもなお、本作はこれまで30年近くにわたって培われてきたものを踏まえつつ、それを見直すことでまた新しい魅力を与えた新しい『髑髏城の七人』であり――そして、この1年3ヶ月の最後を飾るに相応しい、まさしく「極」であったということは、はっきり言うことができます。

 実に素晴らしい舞台でした。



関連記事
 髑髏城の七人
 髑髏城の七人 アオドクロ
 「髑髏城の七人」(2011) 再生から継承の髑髏城
 『髑髏城の七人 花』(その一) 四つの髑髏城の一番手!
 『髑髏城の七人 花』(その二) 髑髏城という舞台の完成形?

| | トラックバック (0)

2018.03.24

舞台『江戸は燃えているか』 メチャクチャ楽しいでは終わらない勝と西郷の替玉騒動

 西郷隆盛率いる官軍が迫る江戸。西郷は幕府側の代表である勝海舟と極秘裏に会談を望むが、気が小さい勝は会談は無理だと逃げ出してしまう。このままでは江戸が戦火に包まれてしまうと悩む勝家の人々は、勝に似ているという庭師の平次を身代わりに立て、西郷と会談させてしまおうとするのだが……

 新橋演舞場でこの3月に上演されている三谷幸喜の舞台『江戸は燃えているか』を観劇しました。江戸無血開城――勝海舟と西郷隆盛の会談によって江戸を舞台にした新政府軍と旧幕軍の全面戦争が回避された、この幕末史に残る出来事の裏側で起きていた(かもしれない)騒動を描いたコメディであります。

 三谷作品で勝海舟というと、やはり思い出すのは『新選組!』で野田秀樹が演じた勝海舟――べらんめえ口調でどこか人を食ったような人物、新選組に対しては決して好意的とは言えなかったものの、大局を見据えた一個の人物と描かれていた勝を思い出します。
 が、本作の勝は、べらんめえ口調こそ共通なものの、およそ逆――喧嘩っ早いが気が小さく、自意識過剰で調子に乗りやすい女好きという人物。なるほど、史実の勝を見ているとそういう側面も確かにあるように思えるのが面白いところですが、何はともあれ、面倒な男であります。

 その面倒な勝を演じるのが中村獅童ですが――これが実にはまり役。上に述べたような、江戸っ子の困った面を集めたような、大きな子供のようなキャラクターを、ほとんど最初っから最後までハイテンションで演じていて、これがもう実に楽しく、芸達者ぶりをには最後まで感心させられました。。
 その勝が逃げ出した後、金につられて勝の替玉を務める平次は松岡昌宏。『必殺仕事人』をはじめとして(そういえば獅童とは『必殺仕事人2013』で競演していました)時代劇にはそれなりに出ていることもあり、安定の存在感であります。

 その他、そもそもこの替玉を言い出した勝の娘・ゆめを松岡茉優、勝の妹婿・村上俊五郎を田中圭、西郷隆盛(ともう一人)を藤本隆宏、さらに勝家の女中頭・かねを高田聖子というキャスティングで、この手のキャラでは水を得た魚のような高田聖子をはじめ、皆熱演ぶりを堪能させていただきました。


 さて、お話の方は、急に事前交渉にやってくるという西郷から逃げ出した勝に代わり、平次が身代わりとなって西郷を応対――するんだけれども当然うまくいくはずがない。俊五郎やゆめ、かねが必死になってフォローするのを、事情を知らない勝家の他の人物が引っ掻き回していく――というのが一幕の展開。
 そして二幕では、何とか西郷との交渉を終わらせてほっと一息――と思いきや、やっぱり西郷と会うと言い出した勝に対し、ゆめたちが今度は西郷の替玉をこしらえて対面させるということになって……

 と、いやもうありとあらゆる手で笑わせにくる内容に、劇場は大盛り上がり、「新橋演舞場史上、もっとも笑えるコメディ」というスローガンも納得の内容でした。

 パンフレットによれば、懐かしのバラエティ番組『コメディーお江戸でござる』の舞台パートを意識したとのことで、言われてみればいかにもありそうな内容ではあります。 とはいえ江戸無血開城という大事件、様々なフィクションの題材にもなっているそれを扱った本作は、確たる史実を背景にしているだけに、ある種その反動からのおかしみというものが強烈に感じられました。
(劇中、勝と西郷の実にしょうもない(?)、しかし史実である、ある共通点がネタにされていたのも楽しい)


 しかし終盤に至り、本作は史実に向かって一気に収斂していくことになります。
 正直に申し上げて、この辺りの展開はいささか身も蓋もなさというか、これまでの騒動は何だったのかしら――という印象を受けたのですが、しかしその後に待ち受けるラストの意外な展開によって、この辺りは全て計算の上だったのかな、と考えを改めました。

 歴史は、その前面に立つ英雄たちのものなのか、はたまたその陰に隠れた無数の名もない庶民たちのものなのか?
 その問いかけに対して、後者の姿を中心に描きつつも、最後にガラリとひっくり返して、ある意味「正しい歴史」に変えてみせる本作。その結末は、それ自体「正しい歴史」に対する皮肉の意味を持つのではないか……と。

 もちろんこれは深読みのしすぎかもしれませんし(そもそも女性キャラのステロタイプな描き方をみるに、本作はそもそも庶民に好意的でない気もします)、ラストの展開もあまりうまく機能していない気もしますが――メチャクチャに楽しい、では終わらないのもまた、本作の味わいと言うべきでしょうか。

| | トラックバック (0)

2017.06.25

ことだま屋本舗EXステージ『戦国新撰組』

 本日、ESPエンタテインメント東京本館で開催された、ことだま屋本舗EXステージ『戦国新撰組』を観てきました。昨年の冬の『クロボーズ』に続くLIVEリーディングなるこのイベント、観客の前で、声優が漫画のキャラクターの声を当てるというユニークな試みであります。

 今回のLIVEリーディングの題材となっている『戦国新撰組』は、『クロボーズ』と同じく富沢義彦原作の戦国アクション漫画。
 朝日曼耀作画による本作は、以前このブログでも第1巻をご紹介いたしましたが、タイトルから察せられるように、あの新撰組が戦国時代にタイムスリップして始まる奇想天外な物語であります。


 今回のLIVEリーディングで上演されたのは、原作の第8話まで――現在発売されている単行本第1巻は第5話までが収録されていますが、おそらくは第2巻まで収録される辺りまでが今回上演されたことになります。

 池田屋事件後のある日、突如として戦国時代――桶狭間の戦いの直前の尾張にタイムスリップしてしまった新撰組。
 その一人、三浦啓之助は、土方、島田らとともに、織田家に士官する前の木下藤吉郎と蜂須賀小六と遭遇し、捕らえられて信長の前に引き出されることになります。

 その動きを察知した近藤・斎藤・井上・山崎たちは、土方らを救出するために、織田の本陣を急襲。一方、山南・沖田・藤堂は成り行きから今川軍に潜り込み、織田軍と戦うことに……

 という本作は、新撰組のキャラクター数からも察せられるように、かなりのキャラクターが登場する物語。さらにモブが入り乱れる合戦シーンなどもあり、相当賑やかな(?)展開となるのですが――それがこのLIVEリーディングという形式には実に似合っていた印象があります。

 特に物語の中で結構なウェイトを占める合戦シーンは、SEによる効果もあいまって相当の迫力。ここだけでもLIVEリーディングの甲斐があった――というのはさすがに言い過ぎですが、漫画ではさらっと読んでしまうような乱戦部分にも引き込まれたというのは、大きな効果であったと思います。

 そして内容の方も、先に触れたように第8話までと結構なボリュームではあったのですが、しかし駆け足という印象はなかったのは、これは原作自体のスピード感が相当なものであるためでしょうか。

 なにしろ、上で述べたあらすじだけではわからないような驚きの展開の連続である本作。連載の方ではかなりの頻度でショッキングな展開(特に第5話のラストの信長○○にはもう……)が飛び出してくるのですが、それを一気に観ることができたのは、原作読者としても非常に楽しい体験でありました。
(もっとも、このLIVEリーディングにおいては、個人的には第○話、というように分けなくてもよかったのでは……とは思います)

 演者の方も、声優オンチの私でも名前を知っている代永翼の三浦啓之助などはまさにハマり役。原作での、根性なしで、それでいていざとなると何をやらかすかわからない(そしてそんな中に様々に鬱屈するものを抱えた)「現代っ子」ぶりをうまく再現していたという印象があります。
 もう一つ、楠田敏之演じる土方は、声がついてみるとかなりテンパったキャラだったのだなあ……とも(これは演技への感想ではなく、作中での扱いへの感想ですが)


 何はともあれ、前回の『クロボーズ』よりも(物語のテンポなどが異なるとはいえ)より舞台にマッチした内容で、演出等も洗練された印象があった今回のLIVEリーディング。
 流行の2.5次元よりもさらに2次元に近い、2.25次元的な舞台ですが、この形式ならではの面白さをまだまだ見てみたいと思わされる舞台でありました。



関連記事
 朝日曼耀『戦国新撰組』第1巻 歴史は奴らになにをさせようとしているのか

| | トラックバック (0)

2017.05.21

『髑髏城の七人 花』(その二) 髑髏城という舞台の完成形?

 花鳥風月、この一年に四度上演されるという『髑髏城の七人』の一番手、『花』の紹介であります。前回は配役を中心に触れましたが、今回は脚本を中心に、これまでとの異同について触れたいと思います。

 七年に一度(時に二度)上演され、今回で実に六回目となる『花』。今回の脚本は新規のものですが、それでもベースとなる物語は基本的に変わることはありません。
 それだけでなく、作中の印象的な台詞などは、以前の版からほとんど変えることなく採用されているものも少なくないのですが、その一方で今回はこれまで以上に、細部に手を加えてきた印象があります。

 これは多分に記憶頼りのため、勘違いがあるかもしれませんが、これまでの舞台版と異なる箇所で、特に印象に残ったのは以下の通りであります。
・沙霧ら熊木衆と捨之介の関わり
・蘭兵衛と極楽太夫の関係性
・狸穴次郎右衛門の敵娼
・兵庫と関東荒武者隊の過去

 ご覧のとおり、これらはほとんど皆、キャラ描写を補足あるいは深化するもの。物語を大きく変えるほどのものではありませんが、しかしこのわずかな追加により、キャラクターたちの存在感が、彼らの行動の説得力が、そして物語への感情移入度が、一気に高まったと感じられます。

 この中で個人的に印象に残ったのは狸穴次郎右衛門の敵娼であります。
 歴史ファン、戦国ファンの間では半ばネタ的な意味で熟女好きとして知られる次郎右衛門(の正体)ですが、それを踏まえつつも、後半のある展開を踏まえて、次郎右衛門がよりこの戦いに深く関わっていく要素としても見ることができるのに、感心いたしました。
(そもそも、この展開自体、次郎右衛門の存在を絡めたことでよりドラマ性が深まったように感じます)

 この点からすると、キャストよりも舞台装置よりも、何よりも脚本が、今回の『花』において一番大きな変化を遂げた部分であり、そして大げさに言ってしまえば、『髑髏城の七人』という舞台の完成形に近づいたのではないか……という気持ちとなった次第です。


 もっとも、ネガティブな意味で気になる点がなかったわけではありません。これはもちろん全く個人的な印象ではありますが、今回の捨之介と天魔王にはあまりノレなかった……というのが、正直なところなのです。

 捨之介の方は、確かに言動は格好良く、何よりも非常に威勢の良い人物であり、ヒーローとしては申し分ないと言いたいところですが、しかしそれ以外の人物像、根っ子となるキャラクターが見えない印象(そもそも「玉転がし(女衒)」の設定が語られないので何をやって生きているのかわからない……のはさておき)。
 そして天魔王の方は、非常にエキセントリックかつ卑怯なキャラクターとして描かれており、新感線ファン的に一言で表せば「右近健一さんが演じそうなキャラ」なのです。

 いわばヒーローのためのヒーロー、悪役のための悪役……この二人にはベタなそんな印象を受けてしまったのですが、しかしその印象は、ラストにおいて少々変わることになります。(ラストの展開に少々触れることになりますがご勘弁を)
 天魔王を倒したものの、いわば髑髏党壊滅の証として、その首を差し出すよう徳川家康に迫られる捨之介。全ての因縁にケリをつけた今、安んじて首を差し出そうとした捨之介に対し、仲間たちが首の代わりに家康に差し出したものとは――

 これまで『髑髏城の七人』においては、天魔王や蘭兵衛の過去への執着を示す、いささか悪趣味なアイテムとして描かれていた「それ」。しかしここで「それ」が差し出されることにより、捨之介は自分を縛っていた過去を、真に捨てることができた……本作の結末で描かれるのはその構図だと言えるでしょう。天魔王という空虚な存在、戦国の亡霊とも言うべき存在の象徴を捨て去ることによって。

 いわば本作は、過去という空虚に囚われ、ある者は狂い、ある者は魅せられ、そして共に滅んでいく中、同様に囚われながらも、それを捨てることにより、真に生きる道を手に入れた男の物語だった――
 今頃何を言っているのだ、と言われるかおしれませんが、今回のキャラクター配置・描写には、そんな物語構造が背景にあると考えるべきなのでしょう。


 正直なところ、まだ360度の舞台を十全に使いこなしているという印象ではないのですが、その辺りも含め、これだけの高いレベルでスタートを切ったドクロイヤーがどのようなゴールを迎えるのか……最後まで見届けることができればと思います。



関連サイト
 公式サイト

関連記事
 髑髏城の七人
 髑髏城の七人 アオドクロ
 「髑髏城の七人」(2011) 再生から継承の髑髏城

| | トラックバック (0)

2017.05.20

『髑髏城の七人 花』(その一) 四つの髑髏城の一番手!

 七年に一度やってくる劇団☆新感線の『髑髏城の七人』再演、いわゆるドクロイヤーですが、今年はそれより一年早い……と思いきや、来年のドクロイヤーに向けて、一年かけて花鳥風月、四つの髑髏城が上演されるというとんでもない仕掛け。その第一弾、『髑髏城の七人 花』であります。

 時は本能寺の変から八年後、突如関東に現れた髑髏城から関東髑髏党を率い、暴力でこの世に覇を唱えんとする謎の魔人・天魔王。
 この天魔王と髑髏党に追われる少女・沙霧を助けたことから、正体不明の風来坊・捨之介、関東荒武者隊を率いる傾き者・抜かずの兵庫、そして色里・無界の里の主・蘭兵衛と極楽太夫らが、死闘に飛び込んでいく姿を描く本作は、冒頭に述べたように七年ごとに再演される新感線の代表作であります。

 1990年の初演以来、1997年、2004年(こちらは二バージョン上演)、2011年と上演されてきたのですが、私は2004年のアカドクロを観て以来の大ファン。ソフト化されている1997年も含め、初演以外は全て観ている身としてはもちろん今回も見逃すわけにはいきません。

 そんな今回の髑髏城は、冒頭に述べたとおり年四回、それぞれ脚本や演出を変えて上演されるという破天荒な企画ですが、上演される劇場もユニークであります。
 本作がこけら落としとなるIHIステージアラウンド東京は、なんと客席の周囲360度に舞台が設けられ、上演中に客席が回転するという仕掛け。さすがに360度を一度に使うことはないのですが、場面転換に合わせ、結構なスピードで客席が回転するのは、なかなか楽しい経験でした。


 さて、肝心の内容の方ですが、メインキャストの配役はといえば、
 捨之介:小栗旬
 沙霧:清野菜名
 蘭兵衛:山本耕史
 極楽太夫:りょう
 兵庫:青木宗崇
 天魔王:成河
という豪華な顔ぶれ。うち小栗旬は、前回も同じ捨之介を演じていますが、それ以外のメンバーは、新感線登場も初めてではないでしょうか。
 その他、謎の狸親父・狸穴次郎右衛門を近藤芳正、そして凄腕の刀鍛冶・贋鉄斎に古田新太! と、脇を固めるメンバーも頼もしいのです(新感線純血の役者が少ないのは残念ですが、今回は脇を固める様子)。

 舞台というのは、(ほぼ)同じ内容を、異なる役者が演じていくのもまた楽しみの一つですが、それはもちろんこの髑髏城も同様。
 後述するように、今回は物語内容的にはこれまでと比べてそこまで大きく変わるものではないのですが、それだけに役者の存在感が大きく影響を与えていたと感じます。

 個人的に今回の配役で一番印象に残ったのは、山本耕史の蘭兵衛でしょうか。
 何処から現れ、関東において一種のアジールとも言うべき無界の里を数年で繰り上げた謎の男である蘭兵衛ですが、常に冷然とした態度を崩さぬ、心憎いまでの色男とくれば、これはもうはまり役というべきでしょう。

 時代劇経験者だけあって、立ち回りの安定感も大きく、もちろん着物の立ち姿も違和感なしとビジュアル的にも素晴らしいのですが、さらに良かったのは中盤以降の演技。
 未見の方のために詳細は伏せますが、中盤で大きな変転を迎える蘭兵衛という人物。それ故にこの人物の行動に説得力を与えるのは非常に難しいのですが、今回は脚本のうまさもあり、まずこれまでで最も説得力のある蘭兵衛であったと感じます。

 また沙霧の清野菜名は、恥ずかしながらお見かけするのはこれが初めてだったのですが、こちらも実に良かった。
 どこまでも真っ直ぐで元気に明るく、しかしその奥に陰と悲しみを抱えた沙霧のキャラクターをきっちり演じてみせたのはもちろんのこと、アクションが実にいい。アクションをきちんと勉強していた方のようですが、後ろ回し蹴りなど、橋本じゅんクラス(大袈裟)の美しさでありました。

 そしてもう一人、全くもって貫目が違うとしか言いようがないのが古田新太。天才刀鍛冶であり、刀を愛しすぎる故に、その刀で自分を斬ってしまうという紛れもない変態の贋鉄斎を、基本的に大真面目に演じ切ってみせたのは、これはもうこの人ならでは(一人称が「僕」なのがさらに変態度を高める)。
 かつての当たり役だった捨之介を譲っての登場は個人的には少々寂しいものがありますが、舞台上でも一歩引いた形で主人公たちをサポートする贋鉄斎と、今の姿は重なるものがあった……というのは言いすぎでしょうか。


 語りたいことが多すぎるため、次回に続きます)


関連サイト
 公式サイト

関連記事
 髑髏城の七人
 髑髏城の七人 アオドクロ
 「髑髏城の七人」(2011) 再生から継承の髑髏城

| | トラックバック (0)

2017.04.25

劇団ヘロヘロQカムパニー『犬神家の一族』 関智一の金田一だからこそできたもの

 先週末、劇団ヘロヘロQカムパニーの『犬神家の一族』を観劇してきました。言うまでもなく横溝正史の金田一耕助もの、かつて市川崑の映画版が大ヒットした、あるいは最も有名な金田一耕助もの……その原作を見事に舞台化した作品であります。

 これまで座長の関智一を金田一耕助役として、『八つ墓村』『悪魔が来りて笛を吹く』『獄門島』と上演してきた劇団ヘロヘロQカムパニー(以下、「ヘロQ」)。残念ながら私はこれらの作品は観ていない……というよりヘロQ自体これが二度目の観劇なのですが、以前観た『魔界転生』がかなりの完成度だっただけに、期待を寄せていました。

 そしてまず結論を申し上げれば、これがかなりの完成度。決して短くはない原作を、3時間弱という上演時間の中でテンポよく消化し、過不足なく再現して見せてくれた快作であります。

 犬神佐兵衛翁の臨終の場面と、金田一のもとに依頼が届く場面を同じ舞台上で見せるという、いかにも演劇的な演出で始まる本作。
 その後のヒロイン珠世受難に代表されるような映像の投影を多用したケレン味たっぷりの演出も楽しいのですが、金田一役の関智一をはじめとする出演陣の演技もいい。

 私でも知っているようなメジャー声優の方々がメインを固めている舞台でしたが、声の演技とはまた異なる演技というものを、堪能させていただきました。
(特に三石琴乃は、登場してもしばらく気付かず驚かされました)

 その中でも関智一の金田一は、飄々とした浮き世離れした面と、明るい人懐っこさを感じさせる面がうまく同居しており、はまり役という印象。
 基本的にラストまで謎に振り回される(舞台の構造としては謎の整理役というべき)役どころながら、いるだけで不思議な安心感と好感を感じさせるのは、さすがは座長と言うべきでしょうか。


 それ以上に感心させられたのは、市川崑の映画版では省略された原作の要素の多くを、きっちりと再現している点です。
 その最たるものは、犬神家での第二の殺人のトリック(経緯)を省略せずに描いている点と、第三の殺人の犯行手段と見立ての説明でしょう。その他にも、クライマックスのある人物の逃走劇や、その人物が正体を隠していた理由なども、丹念に拾って再現しているのには、大いに好感が持てます。

 その一方で面白いのは、本作が映画版を思わせる演出を随所に取り込んでいる点でしょう。
 音楽や、特に佐清のマスクと喋りに代表されるキャラクターのビジュアルや芝居、さらにはとにかく走り回る金田一(目の前の通路を使うというのでそんな場面があったかな、と思いきや……)など、原作の展開と併存させる形で、使用しているのであります。

 原作への拘りからすると、この辺りは一見奇妙に見えるかもしれません。しかし『犬神家の一族』という物語のパブリックイメージの大半を形作っている映画版のそれに寄せることで、それしか知らない、あるいはパロディ等でしか本作を知らない方も入り込みやすい舞台を目指しているのではないか……という印象を私は受けました。
(この辺りは、『魔界転生』でも感じたところです)


 そして何よりも印象に残るのが、ラストシーンであります。本作のラストにおいては、やはり映画版を踏まえつつも、金田一と珠世の会話を通じ、物語の構造を――物語の中心となるある人物の想いを浮かび上がらせつつも、そこからの解放と未来への希望を明確に描き出すのです。

 金田一が、固陋な因習の、閉鎖的な共同体の破壊者であるというのは、しばしば言われるところではあります。

 本作はその構造を踏まえつつも、ラストシーンにおいてそれらを生み出したものの存在を浮き彫りにし、そしてそこからの解放を支える者としての金田一を描き出すことで、原作の描いていたものを、より明確に描いてみせたと言えるでしょう。
 そしてそれは、関智一の金田一だからこそできたもの……というように感じられます。


 さすがにラストの推理シーンは(事件の構造のためでもあるのですが)そこまでの快調なテンポが落ちる点、章立てながら休憩なしという点など、引っかかる部分が皆無ではないのですが――
 しかしそれを補ってあまりある舞台であった本作。これまでの作品も、そしてこれからの金田一ものも観てみたいと感じさせられた作品であります。


関連サイト
 公式ブログ

関連記事
 舞台「魔界転生」 おいしいとこ取りの魔界転生

| | トラックバック (0)

2017.02.21

六本木歌舞伎『座頭市』 奮闘、海老蔵&寺島しのぶ しかし……

 この20日までEXシアター六本木で上演されていた六本木歌舞伎の『座頭市』を観ました。座頭市を演じるは市川海老蔵、二人のヒロインを演じるのは寺島しのぶ、そして脚本はリリー・フランキー、演出は三池崇史と、異色の歌舞伎であります。

 舞台は六本木温泉宿場町、時は江戸時代――それも、史実よりもずっと長く続いた(おそらくは現代に近くまで)江戸時代。
 この六本木に流れ着いた盲目の男・市は、放浪の按摩は表の姿、実は凶状持ちで莫大な賞金をかけられた侠客でありました。

 そんな市が出会ったのは、宿の女中として懸命に働く盲目の少女・おすずと、江戸随一の花魁・薄霧太夫。特に薄霧は市の危険な香りに強く惹かれるようになります。
 しかし町を牛耳る六樽組の親分・権三は、市を危険視し、六樽組の用心棒である狂剣士・風賀清志郎らに抹殺を指示。陰謀を察知した薄霧は、市を連れて町を抜けようとするのですが――


 というこの歌舞伎、物語的には上の概略がほとんど全てと、非常にシンプル。流れ者が土地を牛耳る顔役と対決、ヒロインと別れて再び旅立つ……というのは、流浪のヒーローものの定番ではありますが、相当にあっさりした内容ではあります。
 が、その分、存分に見せてくれるのは、海老蔵と寺島しのぶの演技合戦なのです。

 海老蔵の座頭市というのは、坊主頭がトレードマークの一つであるだけに、コロンブスの卵的なビジュアルですが、これがなかなかにはまっている印象。
 本作の市は、一般的な座頭市のイメージに比べれば若くまた格好良すぎるようにも見えるのですが……しかしその無頼さ・慇懃さ・無愛想さ・人懐っこさ・真摯さ・洒脱さetc.といった、相反する要素が入り混じったキャラクターは、海老蔵という役者自身のイメージとも重なって、本作ならではの座頭市像を生み出していると感じます。

 特に冒頭、なんとTシャツにスウェットという姿で現れ、本水を被りながら立ち回った後で、コンビニのビニール袋を片手にタオルで顔を拭い、袋から取り出したモンキーバナナをつまらなそうに頬張る姿は、「今の」座頭市像として、一気に心を掴まれました。
(その後、早変わりで真っ赤な衣装に着替えるのですが、これはこれで格好良い)

 そして対する寺島しのぶですが――梨園の名門に生まれながらも、女性という理由で歌舞伎役者になれなかった彼女にとって、「歌舞伎」の舞台は夢だった、と思ってもよいでしょうか。
 薄霧の情念に満ちた役どころはお得意のそれかと思いますが、しかしむしろ舞台の上でのはっちゃけぶりが凄まじく、海老蔵との濡れ場はほとんどアドリブで無茶なネタの連発ですし、後半には歌謡ショー(!)まであったりと、大暴れであります。

 二役で演じた少女・すずの方はうって変わって可愛らしい役どころですが、舞台上での二人の早変わりも楽しく、実に楽しそうに舞台上を走り回っていたのが印象に残ります。


 しかし――舞台全体として見れば、正直なところ、この二人の奮闘ぶりが全てという印象であります。

 上で述べたとおり物語としては相当に薄い本作。2時間と比較的短いためもあるかもしれませんが、その時間の多くがアドリブに割かれた印象で、二人を除けば辛うじて印象に残るのは、市川右團次演じる清志郎のみ。
 そもそも、基本的に市はただ六本木にやって来て普通に過ごしているだけなのに、一方的に薄霧や六樽組がエキサイトして彼に絡んだ末に、自滅していくのですから……

 終わらない江戸時代という舞台設定も、有効に利用されていたのは先に触れた冒頭の市の姿くらいで、「今」の物語としては突っ込み不足でありました。

 しかし何よりも驚かされたのはクライマックス。死闘の末に辛うじて清志郎を倒した市。しかしその時、周囲がにわかにかき曇り、倒されたはずの清志郎が不気味な姿で復活。そしてその背後から現れる、巨大な怪物・鵺――
 いやはや、座頭市と怪物が戦う話は初めて見ましたが、普段であれば大好物の要素も、何の伏線もなく突然出てくれば、夢でも見たかと思うほかありません。
(鵺の造形が結構良かっただけに残念)


 ラスト、市にとって美しいもの、純粋なものの象徴であるはずのすずが……という苦い結末は良かった(「厭な渡世だなァ」という台詞も納得)だけに、尚更、そこに至るまでが残念に感じられた次第です。


関連サイト
 公式サイト

| | トラックバック (0)

より以前の記事一覧